2024年3月1日(金)、ジロウ(ニ男のブログ内での愛称)は晴れて高校卒業をしました。
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今回は出産時のドラマティックなエピソードから、高校卒業までのさまざまな出来事、選択してきたことをお話します。
陣痛がきたが・・・ ジロウが危ない
ちょうど予定日に陣痛がきた。病院へ行き、順調に陣痛は強まっていったが、それと同時にジロウの心拍数がどんどん下がりはじめた。
肝っ玉ふーちゃんはジロウが死んでしまうかもしれないと大きな不安に襲われた!
弱気ふーちゃん、となり、そのせいで陣痛もどんどん弱くなってしまったのだ。
そして本当の 肝っ玉ふーちゃん となった
先生のまさか の提案
緊急の帝王切開しかないかなーというところで、産婦人科の50歳ぐらいの女医さん(さばさばしていてカッコよく、この方のファンだ)が
「ひとり産んでいるから、いきんで産んでみるか」というのだ。
小学生の頃から勉強が苦手だったから、自分には運動神経と体力しかない、と思って生きてきた。
だから先生に言われた「いきんで産む」を素直に1秒で受け入れ、涙を流しながら「はい!」(「あい!」みたいな「はい!」)と叫んだ。
300パーセントの力でいきんだ。
ジロウを危ない目に合わせてたまるか!
そして やってやった!
300パーセントでいきんで10分位で陣痛も回復してきたが、赤ちゃんが出てこれるほどの陣痛ではない。
陣痛で産んだのではない。力で産んだ。
先生は「こんな母初めてだ、ほんとにいきんで産めるんだね」
「あはははは! 最高」と言っていた。
1か月に1回の健診で、先生とは楽しくおしゃべりさせていただいていたが、こいつならやる。と思えたらしい。
ひとを見る目がある。
ベテラン先生にとっても初めて経験だった。
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300パーセントでいきみながら、てっきりこういうお産があるんだと思っていた。
ジロウ退院へ向けて
ジロウの身体がついていけなかった
本来、赤ちゃんは陣痛によって、母の体外へでる準備をする。
しかし、ジロウは無理矢理、準備無しに女2人の勢いある決断によって、外へ出されてしまったわけで、呼吸がうまくできない(新生児一過性多呼吸症)。
かわいい声で「ぉぎゃぁ!」と泣いたあと、案の定、保育器に連れて行かれ、たくさんの管に囲まれ、処置してもらった。
ジロウ、回復
お産直後は抱っこさせてもらえなかったが、次の日、ちょっとだけね、と看護婦さんがジロウを腕の中に連れて来てくれた。
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大変な人生のスタートであったはずだ、スペースマウンテンからフィニッシュに場外に放り出されたような・・。
そんなスタートを切ったジロウだが、穏やかな顔をしてくれて、まだぼんやりとした視力でこちらを見ている。愛くるしー!!。
2232グラムの少し未熟児で産まれ、ハードなお産に付き合い呼吸が苦しかったジロウは、始めは保育器の中で、そしてある程度体重が増えるまで入院した。
私は、毎日母乳を届けて、ジロウを抱っこし、ムニュムニュ顔や手足を触り、沐浴して帰る日々を過ごし、産まれて約2週間後に退院できた!
お伝えしたいこと
お産というのはそれぞれに全くちがうエピソードがあり、教科書通りにはいきませんね。
何があるか予想はできませんが、赤ちゃんと共に乗り越える、初めての一大イベントとなります。
親子であれこれ頑張ってきたこと、たまに思い出してみると、なかなか良いものですね。
少し大きくなってから子供に話すと、意外と嬉しそうに聞いてくれましたよ😊。
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ジロウ エピソード2 予告
エピソード2では、発達ペースの遅いジロウ。
乳児期、グズグズすることが多い原因は中耳炎だった!
をお話します。