小さいころの自分。今考えるとグレーゾーンだった。・・いや、今もか!?
小さいころの自分を子育てするとしたら?・・・嫌だ!絶対!と思ってしまうエピソードをお話します。
保育園での過ごし方
男の先生
保育園で、男の先生がいて、音楽の時間ではギターを、そして体育の時間ではマット運動を中心に教えてくれて、私はその先生の教えてくれることと、自分が得意かもしれない、が重なっていたため、非常に楽しかった。
5歳のころ三点倒立ができるようになった。何分でもできた。何せ自分のたった一つの特技だったから。他は何もできない。
体育の授業参観で三点倒立をした。
「ふーちゃんすごいんですよ」って先生が言ってくれたものだから調子にのった。
クラスのお母さんたち(大人たち)がものすごく褒めてくれるものだから、その空気でアドレナリンがでた。
先生がずっと逆さまのわたしを見つめて「もういいよ」って言うまでやった。
この先もしかしたら、得意なことに出会えないかもしれないから、みんなに見ておいてほしかった。
母のうれしそうな顔を覚えている。
基本、ひとりが好きだった
自分のやりたいこと、を優先する子だった。
明るくもないし愛想も良くない。
今日鉄棒を練習する、と決めたら、ひとりでやりたい。
走りたいと決めたら、ひとりでとにかく走る。
友達に遊びに誘ってもらっても、やることが決まっていたら、悪気なく、すぐに断っていた。
絵をかく時間でやったこと
年少さんのとき「好きな絵をかきましょう」って折り紙より少し大きめの紙が配られた。
みどり色のペンをとると、この白い紙をみどり色の紙にしよう、と、必死で色を塗った。
「はーい、時間でーす」って、途中で回収された。みどり色に塗りきるには、時間が到底足りなかった。
翌日、お迎えに来た母と私は、職員室に呼び出された。
「ふーちゃんはこっちで遊んでいてね」って、またお絵描き帳をわたされた。
先生が、母へ、お絵描きの時間で、他の子は自分の顔や、自分の好きなものを描いているのに、ふーちゃんはずっとみどりで何を描くわけでもなく、ひたすらぬりぬりしていた、これを見てください、って深刻な表情で説明していた。
母は「そうですか」って、なーんにも気にしていない様子だった。
帰りに母と手を繋いで歩きながら「ふーちゃんは全部、みどりにしたかったんだ」って教えあげた。
「そーなんだね、すごいよ。」と褒めてくれた。
だいっきらい!なプール
脱走犯
保育園のプールの時間が大っ嫌いだった。
プール際まで行って、そろ~りと、先生の目を盗んで逃げだした。
トイレに隠れた。
良い保育園だった。先生はじぶんがいないことにすぐ気づく。
「ふーちゃーん!ふーちゃーん!」って担任の先生に頼まれた先生が探しにくる。
慣れている先生じゃないひとが自分を探しにくる、人見知りだったからそれが嫌だった。
「トイレのドアを開けて」って言うからしばらく無言で時間をかせいで、しょうがなく開けて、 手をつながれてプールに戻る。
再び逃げだしてトイレに隠れる(実際に隠れるというより閉じこもるだけなんだが)。
これを何度もやると、プールの時間は終わる。
そうなると自分が勝ったという、達成感があった。
2勝1敗
脱走してプールに入らないで済んだ日(勝った日)と、先生が引き下がらずにプールに入らされた日(負けた日)が交互にきた。
どうしても、最後には入らされる羽目になり、悔しくてギャンギャン泣いた。
2回に1回は、と先生は決めていたんだろう、プールの楽しさを一生懸命教えてくれようとした。
保育園のプールがなぜ嫌いだったのか
自分のペースで楽しめない、が嫌だった。
自分が欲しいタイミングじゃないときに、水しぶきがかかる。
みんなでせーの!でお水に顔をつけたりする、とにかく自分のペースで遊びたかった。
試してわかったこと
アイロンが本当に熱いのか、たしかめた
これは母がアイロンをかけるのを、じーっと見ていて、とっても不思議で「どーしてピーンときれいになるの?」って聞いたら「アイロンが熱いから、その熱のおかげ」「さわっちゃだめだよ、やけどするから」って言われた。
母がこっちに目をやっていない隙を盗み、手のひらを迷いなくおもいっきりあてて、やけどした。
本当に熱かったし、そのあと冷やしたが、数日じんじんじんじん痛い日が続いて懲りた。
指ではさんで引っ張ると切れる草(ススキ等)で、ほんとうに指は切れるのか
はらっぱに凧揚げをしに連れていってもらったときに「この葉っぱ、指が切れるからね」って母が言う。
もうコイツやるよね、ってわかっていたと思う。
父が高ーく凧をあげてくれて、うれしいのだが、もう興味は「この草ごときがふーちゃんの指を切る?」ってそればっかり気になる。
また思いっきりやってやった!思い出すだけでも痛い!親指の血がポタポタ止まらなかった。
勢いがすごすぎて指がのこぎりで縦半分に引き裂かれたかと思った。
大人になった今でも、このての葉っぱを見ると「懲りてますよ、わかってますから~」と思う。
自転車に二人乗りしてうしろからかっこよく飛び降りたい
いとこの3歳上の当時小学5年生のお姉ちゃんと自転車に二人乗りしてうしろから、「もっと速く走って!」「もっともっと!!」ってあおった。
テレビドラマで走っている電車や車から飛び降りて、地面にゴロゴロと転がってから立ち上がるのが、どーしてもよくわからなかった。怪我なんかしちゃって。
ふーちゃんなら、かっこよく体操選手の跳馬の着地のように降りられるイメージがあった。
いとこはがんばった。5年生で運動神経もわるくないから、それなりにスピードが出た。わたしが飛び降りることは、もちろん伝えていない。
アスファルトのまっすぐな道。加速が頂点に達したところで飛び降りた。
それまでの人生で体験したことのない、抵抗不能状態!
どのように落ちたのか、落ちた後どのように転がったのか、わからない、とにかくすごいエネルギーだった。
「ふーちゃん!!何した???!」ビックリたまげたいとこが、顔色を変えて、猛スピードで自転車で転がっているわたしのとこにきた。
半袖のTシャツの袖が破れ、アスファルトの汚れをまとい、全身すり傷切り傷(小石がたくさん入った)や打撲をした私は、映画ロッキーのボクシング試合後のシルベスター・スタローンのような風貌となった。
私は完全に敗北した。
うちの母は孤児院で育てられた
母が2歳のとき
母は小さいころ、お母さんの旦那が別の女性のところへ行ってしまい、ひとりでうちの母と母の妹を育てた。
ところが母が2歳、妹が0歳のときに、お母さんが病死してしまった。
母と母の妹は別々の孤児院に引き取られた。
2歳のころだから、よくは覚えていないという。
母は孤児院で寂しい想いをしていなかったか聞くと「みんなが優しくしてくれて、たまにアメリカ人の方が甘いお菓子を持ってきてくれて、それがとってもうれしかった」って言う。
今までに何度も聞いたがいつもこの返答だから、本当にそうなのだろう。
母の子育て
大人になって、周りのひとが家族の話をしたときに、家族がいないことは少し寂しい、と思うようになったらしい。
母は 父、母に育てられた経験がない。
そのかわりに無条件でかわいがってくれるやさしい施設の方に、それこそのびのびと育ててもらったということだ。
だから、自分が母になり、旦那も、娘たちもいて、よくある家族の形で過ごせている、それだけで幸せそうだったし、わたしが変な子でも、一喜一憂せず、それに付き合ってくれて、のびのびと育ててくれた。
中学3年生の数学で3点をとった。答案用紙を見たら計算式の途中までで おまけ! と書いてあった。
先生から「ちゃんと両親にみせるんだよ」って言われたけどへっちゃらだった。
いつもより低い点数だったけど、母は「3点もすごいわ~、お母さんは0点しかとったことないからなあ!」って(母は京都の孤児院で育ったから京都弁)。
いつも通り褒めてくれた😊。
(このあと少しは勉強して、ふーちゃんの地域で偏差値の一番低い公立高校に進学できました😊)
ふーちゃんのこどものころ お伝えしたかったこと
じぶんが小さいころ、グレーゾーンというカテゴリーは存在していなかった。今の時代にわたしが小さかったら、まちがえなくグレーゾーンに分類されただろうと思います。
しかし、うちの母はブレませんでした。ちっとも心配していなかったし、ありのままでいさせてくれました。
自分(ふーちゃん)の子どもたち、とくに次男ジロウと三男サブロウは、グレーゾーンに分類されると思いますが、自分自身、成長過程で悩み、そして納得しながら、子育てしてきました。
こどもの長所を尊重してまだまだ子育てしたい、応援団長でいたいです。
日々出版される、発達障害やグレーゾーンといった本をたくさん読んでみて、自分の経験した子育てで感じたことと合わせて、これからの人生、後半戦で、何かの役に立てたらと思います。
またの機会、子育てについて思うところ、お話させてくださいね😊。