こんにちは。苦労いっぱい楽しみたくさんアラ50おばちゃん肝っ玉ふーちゃんです。
最近高校を卒業したジロウの話、最近大学を留年したイチロウの話を少しいたしました。
今回はたっぷりの登場は初、うちのアイドル的存在、今年から高校3年生のサブロウ(三男このブログでの愛称)のお話をいたします。
サブロウが兄たちとよーく遊んでいた、学研ニューブロックです。
やわらかいブロックで、少ない数でも組み合わせると立派な作品が出来上がります😊。
よくつくっていたのが、闘いごっこで使える剣。
小学校低学年まで、ずーっと楽しませていただきました。
サブロウの出産エピソード
もうすぐサブロウに会えそうだ
サブロウは予定日より2週間ほど早く産まれた。
破水して陣痛が来て、病院へ行き陣痛が強くなり・・というまあまあ一般的な始まりで、痛いけれどもまだ産まれないなあ、と思っていた。
献身的に励ましてくださる「新人の〇〇です」と自己紹介してくれた助産婦さん。
不規則な勤務時間にまだ身体も慣れていないだろう、と心配になった。
痛いのだがまだまだスゴイ陣痛ではないとわかっている私は「まだ産まれないから仮眠をとりな」と、新人助産婦さんの背中をトントンとやさしく叩いていたら、うそみたいだが本当の話、うたた寝に入った。
3人の子どもを寝かしつけてきたトントン、陣痛中の妊婦が助産婦さんの寝かしつけに成功。さすが自分。と、このときばかりは自分自身に対し、満足気だった。
陣痛室で産まれそう
痛みをがまんするのが得意な私は、中学のときに起こした虫垂炎(もうちょう)のときも、痛みを我慢しすぎて、すぐに病院に行かないでいたため、破裂寸前で、一般的に3cm程度で済むところ、その倍ほどメスを入れることとなってしまった。
今回、陣痛室から分娩室へ行くタイミングは、かっこよく、これ以上ない今、を狙っていた。
もちろん痛い。痛くて、3回目、またこの痛みを忘れて、こんなことに挑んでいる自分が馬鹿なんじゃないかと思った。
でも、ぜったいに騒がない、静かに戦う、と決めている。
そうしたら、今、を通り越してしまった。急に産まれそうになった。
「産まれてしまいそうだ、ごめん!」と助産婦さんを起こした。
「すみません!」とガバっと起きた。こちらがすみません!だ!
バタバタの出産
あまりに一気にこの時が来たため、助産婦さん、看護婦さんの人数がそろっていない。
旦那が呼び出された。たまたま病院に着いたところだった。
「サブロウの頭を押さえておいてください!!しっかりと!」
「はい!」「えっ!!?」
まさか、そんな力必要じゃないだろうと思った旦那はビックリ!顔色を変えて、本気で力を出して押さえた、そうじゃないとうっかりしたら、飛び出してしまう勢いだから。
バタバタと分娩室の用意が整って、主治医の先生も小走りで到着。
分娩室に運ばれ、転がるように分娩台に移り、1分かからないぐらいで産んだ。
サブロウの産後
サブロウの様子
サブロウ無事で良かった、顔色も良くいかにも元気そうだ。
2週間早く産まれたからか、ジロウに続き、少しだけ未熟児だった。
そして、私は、というと何もかっこよくなく、皆様にご迷惑をかけるお産となってしまい、反省。
「もう3人目なんだからさあ、早めに産まれそうかも?ぐらいで言ってよー」先生も苦笑いだった。
それからは、痛いことを我慢しない、と誓った。
未熟児のさぶろう、退院できた
母の私が先に退院し、家で搾乳したものを、バスに揺られて病院へ持っていって、サブロウとイチャイチャして帰る日々を送った。
それにしても、美しい顔をしており、誰に似たんだか、と惚れ惚れする赤ちゃんだった。
待ちに待った約1週間後、我が家へ帰ってきた。
2歳で痙攣(けいれん)
ウトウトしていたら痙攣
突然その日がやってきた。
ジロウが幼稚園の間、2人で我が家にいた。お昼ご飯を作っている間にサブロウはウトウトしだしているのがわかった。
間に合うのなら、寝る前に食べてしまえたら、と思い、どーしようか様子を見ていたら少しばかり開いている黒目がギューっと横以上のほうを向き、身体全体がガクガクと痙攣しだした。
以前、乳幼児におこる高熱時に起こる痙攣(熱性けいれん)の話を聞いたことはあったが、今のサブロウは平熱。
時計を見た。1分程度の痙攣ならば、救急車を呼ぶ必要はない、とのことだったように記憶していたからだ。
痙攣時
さぶろうをゆっくり横向きにした。
唾液などがのどにつまらないように、と思ったからだ。
さぶろうは痙攣の間、呼吸が出来ていない、顔色が青色を通りこして、紫がかったグレーのような色になった。
冷静でいられず「さぶろう!さぶろう!」と声をかけながら「どうしよう、どうしよう」と焦りから涙がでた。
自分の心臓の音がバクバクと聞こえた。
痙攣が終わった
時計を見たら1分はたっていなかった。
でも世界一、苦しく長く感じた1分弱。
サブロウはいちど、むせたようにゴホっというと、それをきっかけに息をし始めた、ゆっくりと顔色が戻ってきた。
すぐに起きてくれると思ったら、すぐにガーガーと寝だした。
あれよあれよと、すごい展開。
痙攣の前兆から寝だした、まで2分ぐらいの間に起こったことのすさまじさに、放心状態となった。
自分がとっさにとった行動は・・・あっていたのかな?
サブロウは2時間ほど爆睡した。
その間、自分も少しずつ、落ち着いてきたので、スマホを手にとり、痙攣のこと、そのときとるべき行動を調べた。
そこには、身体を揺さぶったり、大声で名前を呼んだりしてはいけない、とあった。
名前を呼んでいた。
横にしてあげるのは良い、すぐに救急車を呼ばなくても良い、というのは間違ってはいなかった。
この痙攣は一時的なものなのか、それとも「てんかん」という病気なのか?と考えだした。
次の日、近くの小児科で相談
次の日の午前中に小児科を受診した。
たいがいの風邪はかかりつけの耳鼻科にかかっていたが、耳鼻科の休診日には、近所のそこそこ人気な小児科にも行くことがあった。
小児てんかんかもしれないと思っていたので、小児科へ行った。
先生はそのとき熱があったのか、何回目の痙攣だったかと聞かれたので、熱がなかったことと、初めての痙攣だったことを伝えた。
初めて、ということで、この先も同じような痙攣があるか、少し様子をみてみましょう、ということになった。
ハッキリしてくれーーーーーー でも、てんかんじゃないほうがいい!けどーーーーーー!!!
お伝えしたいこと と 次回予告(サブロウについて)
三男のサブロウの出産エピソードと、今回は初めての痙攣についてお話しました。
突然の熱、痙攣、怪我など、対応のしかたは、私の時代は雑誌、たまごクラブ、ひよこクラブで知識として少しは備えておかねば、と思って読んでいました。
痙攣のとき・・をボヤっとでも思い出せたことは、完璧ではなかったけれど、少しは役にたてたように思います。
それにしても子供っていうのは、たくさん愛情をくれると共に、もう本当に、いろいろな心配があって、こちら、命が削れる想いです。
自分も幼児期から、しょっちゅう、口のまわりにできるヘルペスや、目はものもらいになったりしました。頻度は少なくなりましたが、アラ50の今も、年に数回あります。
それでも、その心配と共に親子で成長していくしかありませんもんね。
自分と旦那の両親たちも一緒にはげましてくれたこと、思い出します。
サブロウが後に「てんかん」と診断されたのは小学校5年生となったのですが、それまでのの様子など、次回お話いたします。
我が家の常備茶、ルイボスティー。
カフェインレスで、ちいさな子どもでも安心して飲めて、クセのない爽やかな飲み心地。
消費量が多い我が家は、この大容量にいつもお世話になっています。