こんにちは。苦労たくさん楽しみいっぱいアラ50おばちゃん肝っ玉ふーちゃんです。
今回は今まで2回、通算10日ほど旅行で訪れた、憧れの屋久島でお盆休みにスキューバダイビングしてまさかの!溺れた話をします。
2回目の屋久島で人生初!体験ダイビング!
初めての屋久島 は 山
小さい頃から父と山登りをしていた。その父が憧れだと言っていた鹿児島県の屋久島の宮之浦岳。
当時はまだ彼氏だった旦那(以下 めんどくさいので旦那で書きます😊)と宮之浦岳に登りたいと話をしたら、すぐにOKが出たので、会社のお盆休みを利用して屋久島の旅を計画して行った。
宮之浦岳は九州最高峰(標高1936m)の山で、途中に世界遺産の縄文杉のただならぬオーラに圧倒されたり、短くは語りつくせない魅力があったので、屋久島の全体像については、またの機会にお話しする。
2回目の屋久島 は 海
初めての屋久島は縄文杉をみて、宮之浦岳に登頂が最大のイベント。1年が経過しようとして、今度はあの神聖な島の海の中に潜ってみたくなり、また屋久島に行ってダイビングしたい。と旦那に言ったら、またすぐOKがでた。
1回目は鹿児島から高速船(トッピー)で行ったが、今回は手っ取り早く鹿児島空港から飛行機で行くという選択をした。
😊旅行にもってこいの巾着いいっぱい。旅行先ですぐに温泉に入れるように、海に入れるように、と始めから仕分けしておいてなるべく時間を有効活用したいものです。巾着がたくさんあれば、安心。収納も大きいものにまとめておけます。
キャンセル待ちして飛行機で屋久島へ
この飛行機の座席を予約しないで行った。キャンセル待ちをしていたら、すぐの便の空きが2席でた。運が良い、とテンションが上がった!
旦那は最後部の座席、私は最前列の席。1席だけが搭乗口のすぐ後ろにある。「こちらの席は、雨が入り込んでくるので、失礼いたします」とスチュワーデスさんがおっしゃって、私にビニールシートをかけてくれた。
いやいや、まさか・・と思って離陸したら、大雨の日の、その雨が搭乗口の扉の隙間から入り込んでくるではないか。半端ない勢いで、ビニールシートにパンパンと雨があたる。この飛行機、これでいいんですか?って思ったが、まあ良いか(ちなみに30年ほど前の話)。専用のビニールシートがあるのだから。ビニールシートを被りながら後ろの旦那をみた。
後部座席で気持ちよさそうに爆睡しているではないか。同じ飛行機内で自分だけがシートを被せられ、非現実的な体験をしている。ただ、被せ方が見事で、洋服などが濡れていなかったから、スゴイな、って感心した。
思いもよらなかった貴重な体験をし、2回目の屋久島に足を踏み入れた。
そして、溺れる、という体験が待ち受けているとは、夢にも思わなかったのだ・・
今回の屋久島の最大イベント スキューバダイビング
体験ダイビングを予約
レンタカーを走らせるとすぐに、体験ダイビングの旗が見えたのでショップに入り、次の日の午後の時間帯で予約した。
私たち2人だけではなく、他にもお客様が3名いらっしゃること、その5人に対してインストラクターが2名つくと聞いた。
もうワクワクが止まらなかった。ウミガメに会えたらなあ~とか、屋久島の海の中に思いをはせていた。
さあ 海へ
予約した時間に海へいった。岩場に5人分のダイビングの装着セットが用意してあった。
装着のしかた、酸素ボンベの使い方、膨らませると水面へ浮くことのできるベストは、水深の深いところでは一気に膨らませずに「基本的にインストラクターの指示に従ってください」等を教わった。
私たちよりも遅れてきた3人は、みんな運動神経の良さそうな、中学生の女の子1人と男の子2人だった。
人見知りではなさそうだが、3人で仲良くきゃっきゃと楽しそうなので、最初に「よろしくおねがいします😊」と挨拶したあとは、もうすぐに海に入った。
中学生3人組 まさかのスピード!
中学生3人は島の子たちだろうか、みんなこんがりと日焼けした細身。
いつもあそんでいる海でダイビングをするのは初めてといった感じだろうか。ここへ来たときも3人で現れて、親御さんの姿はみえなかった。
3人はフルスピードで海の中を進んでいった。足につけたフィンが見えなくなった。
1人のインストラクターさんが私たちについていることになっていたのだが、中学生3人のスピードがあまりにも速いためか「ちょっと、先に行って様子を見てきますね」って私たち2人は海に取り残されてしまったのだ。
海においていかれた私たち
仕方なく追いかけたが 自分に異変
海に入ってすぐ私の酸素ボンベの吸い口が、力を入れて吸わないと空気が入ってこないが、まあこんなもんなのか?なんて思っていた。それが良くなかった。
この広い海で、今、インストラクターがいない。
あ、そういえばこないだ自分の近くの海で見ていた地引網のおじさんが亡くなってしまったな、ご家族のことを思うと本当につらいな、とか思い出し始めたのだ。
そのこないだの出来事についてお話する。
出発前、住んでいる近くの海での出来事
うちから車で15分の海でランチ
お盆休みの屋久島旅行を控えた初夏、旦那とテイクアウトしたマックを持って行き、うちの近くの海でランチした。海風が気持ちいい。
年間通してサーファーの多い、波の高い砂浜。
その日は地元の子ども会なのだろう。親子連れで地引網を楽しむ団体がいて、わいわい楽しそうで、近くに行って採れた魚を見させてもらったりした。
2度目の地引網をかける小舟から海に転落
2度目の地引網をかけるため、網をのせた船に、熟練していると思われる年配の男性が二人、小舟に乗り込んで浜辺から海にでた。
もともと波の高いところだが、その日の風は強めだったため、いつもよりさらに波が高かった。
しかし、波に垂直に舟を進めて行く男性2人を見て、素人では無理だなあ、スゴイなあ、と思って見ていたら・・その舟がちょっと波に平行に横向きになった次の瞬間にひとりのおじさんが海に落ちてしまったのだ。
ひとりのおじさんが亡くなった
もうひとりも舟のオールを投げ入れて自分も海に入っていった。見ていた私たちはなんでだろう?と思っていたが、最初に舟から落ちたおじさんの姿がずっと見えないから、溺れているのだ、とわかった。
地引網仲間の方たちだろう、携帯電話ですぐに救急車を手配している様子で、その間、次々と竹を浮き具として使いながら仲間の方たちが海に入って探していたが、一時間たってもみつからなかった。
魚屋さんが着ている濡れないつなぎの服を着てらっしゃった。そこに水が入り、重くて水面に出られなかったのではないか、と思った。
どうか、救助してください、心底祈っていた。子供たちを喜ばせてきた地引網。あのおじさんたちと面識はなかったが・・。
その海沿いの街に住んでいた会社の先輩から、おじさんがみつかり、心肺停止で搬送されたがお亡くなりになったことを聞いた。心底悲しく、心が痛み過ぎた。
不安による過呼吸 そして溺れて死にかけた
酸素が吸えない!
ここで屋久島のダイビングに話を戻す。
もともと吸いづらかった酸素、しかも、インスタラクター不在で海の中に旦那とふたりぼっち、そして地引網のおじさんのことを思い出して、不安と悲しみで呼吸がだんだんと早くなった。
旦那の顔をみても、ゴーグルでどんな表情かわからないし、水深何mにいるのかわからない。でももう苦しいから水面に上がりたくなった。
指で上を指し、上がる、ってジェスチャーしたら、旦那は前に進もうよーって指で前を指している。
旦那に伝わっていないー
相当パニックになったのだろう、重いボンベを背負っているのに、膨らむベストを着ていることさえ忘れ、吸い口を外して、海水をガブガブ飲みながら、水面に上がろうともがいた。ぜんぜん上がらない。
死ぬのだ と 思った
とっても苦しかった、苦しいを通り越してもう死ぬのだ、と腹をくくった。今ごろ旦那も同じような状況かと思っていた。とりあえず天国でまた一緒に過ごしましょうって思ってた。
もうバタバタせずにおとなしく目を閉じた。すると写真のネガに自分の両親や姉、親戚、仲の良い友達がズラーっと輪を描きながら頭の中を一周した、みんな、ありがとうね、お父さんお母さん、ごめんよ、、って切なかった・・・(こんな経験初めてだった、本当に死にかけたんだと思っている)
気付いたら水面に浮かんでいた
眩しいなあ・・なんなんだー?って目を開けたら、浮き輪の中に入っていた状態で水面に浮かんでいた。
インストラクターと旦那に両脇を抱えられた状態で陸にまで上がった。自分の身体がぐったりしているのがわかった。
そこでバケツ1杯分ぐらいの大量の海水を吐いた。頭はガンガンと痛い。
ああそうだった。もう死ぬと思っていたんだ、ってゆっくり思い出してきた。
記憶をたどった
少しずつ思い出したことを口にした
まずは ①酸素が吸いづらかったこと ②海に二人ぼっちなり不安を感じたこと ③地引網のおじさんを思い出したこと ④いかにも死ぬ前に見そうな、お世話になったひとたちの顔が写ったネガが頭の中をグルっと一周したこと を伝えた。
旦那は私の使った酸素ボンベの吸い口を試した。そしたら、やはり、強く吸い込まなきゃ吸えなかったらしい。
そして、インストラクター不在だったことにも、あとからあとから疑問に思った。→この件に関して、溺れた直後は自分自身に反省するばかりで「お世話になりました」とだけ伝えて、宿に帰ってしまいましたが・・。
①機材の点検 ②初心者でも安心してダイビングできるインストラクターの付き添い 等々 パニックに陥るお客様を出さないよう、次の日にでもショップに行くべきだった、と後悔しています。旦那からは「吸い口がこれではだめですよ」とだけは伝えてくれたそうです。あとは、明らかに溺れた私を見て、今後気を付けなければ、っと思っていてくれていたら、と願います。
とどめに、海の中でおじさんを思い出し、本当に死ぬかもしれなかったことを非常に驚いていた。
もっと早くに助けてあげれば・・と旦那、後悔
ちなみに旦那は全然ピンチではなく、私を見て「何をしているんだろう?」「ベストを勝手に膨らませないで、って言われたしなあ~」ぐらい、のほほんとしていたらしいが、吸い口を外した時にオヤオヤ??!!って、もがく私のベストにぶら下がった膨らむボタンを必死でたぐって押してくれたんだと言う。ありがとう。
吸い口の不具合を報告せず、勝手にどんどんピンチに陥った私は反省したとともに、自分の気持ちの持ちようで、こんなになってしまう、って恐ろしくなった。うっかり死ななくてよかった。
あとからあとからジワジワと怖くなったし、ちゃんと生きていかなきゃな、って思った。
そして、初めてダイビングして・・魚を見た記憶が・・・一切ございません!!!
😊旅行で活躍するアイテム。バッグにしのばせておきたいのが大判風呂敷。帰るときにバタバタと着替えやタオルなど、帰宅してから洗濯なり、収納なりすれば良いものを包んで、これでもか!とギューギュー縛ってバッグにしまいます。ときには、旅先の野外で芝生などに敷けば快適にくつろげます。ふだんは外でバーベキューのときのテーブルクロスに使ったりもします。
霊感のある友達からの助言
屋久島から帰って、友達と遊んだ際に、このことを話すと、たいがいの友は「またふーちゃん、やばい体験したね、つまようじ事件もやばかったしね。」って笑ってくれた。
つまようじ事件については↓こちらをごらんください。
しかし、霊感の強い友達が2人いるのだが「地引網のおじさんが、ふーちゃんが心底心配して、亡くなって悲しんでくれて、お盆ということもあって、一緒にあの世へ連れて行きたかったんだね」って言った。
そして「お盆休みは海にはいっちゃだめ、そんなに泳ぎたいなら気を付けてプールに入りなさい」と付け加えた。
この2人は別のコミュニティーの友達で、全く違うタイミングでひとりひとりに話したのに、ゲ!おんなじこと言った!って思った。
私は霊感がないが、あまりに真剣な顔で言ってくれるもんだから、お盆に海に入らない、はあのときから30年になろうとしているが、やっぱりあまり入らないようにしている。
あとがき ~水難事故には充分に!注意しましょうね!~
夏は水難事故のニュースが報道されるたびに、溺れて苦しかったことを思い出します。
大きなコップで水を一気に飲もうとしたときも、あ、苦しいな、からこの体験を思い出してしまうんです。
霊感のある友の話が本当だとしたら、地引網をかけに行ったおじさんに「私なんかに目をかけてくれてありがとうございます、あなたの分まで必死で生きています、天国で見守っていてください」と思っています。
まず、不安の引き金になった、強く吸わないといけない酸素ボンベの吸い口は、始める前に「これで良いのでしょうか」と聞くべきでした。
ちなみに、屋久島から帰ってきて、ダイビングを嫌いになりたくなくて、地元から近い海のショップで屋久島での体験談を話し「海を嫌いになりたくないんです!マンツーマンで潜ってください!」ってお願いし、リベンジした。
最初は怖かったけど、インストラクターの方が、「OK?楽しめてる?」って頻繁に確認してくれながらゆっくりと海中を案内してくれて、「やっぱり海っていいな!」って思えた。怖いだけのままにしないで良かった!
夏休みも後半になってきました。自然って素晴らしい!だけど、無理は禁物ですよ!
どうか安全に!楽しみましょうね!