こんにちは。苦労いっぱい楽しみたくさんアラ50おばちゃん肝っ玉ふーちゃんです。
2歳で初めてのてんかん発作を起こして(直後はまだてんかん、と診断されずにいた)サブロウが現在の17歳になるまで、2度、転院をして3つ目の病院で落ち着いている話をします。
私のてんかんの知識
てんかんは100人に0.5~1人と、決して珍しくはない疾患だという。
しかし、私が今アラ50でこれまでに知人や友人で、てんかん発作を起こしたのを見たこともなければ、てんかんを持っている、と自己紹介されたこともない。
だから本当にそんな割合でいるのかな?って思ってしまうのだが・・。
自分のイメージでは、急に痙攣(けいれん)して倒れてしまったり、それがプールだったりすると溺れたりすると危険、といった漠然とした知識だった。
2歳で初めて発作(痙攣)を起こしてから、てんかんと診断されるまで
2歳で起こした発作 その後
初めての痙攣でびっくりした話はこちら☟をごらんください。
2歳で初めての発作、それからは半年に1回程度のペースで夜寝るときに痙攣があった。
てんかんの発作の起き方にはいろいろあるが、サブロウの発作はいつも決まって夜寝入るときや朝の2度寝に起こる。今までに起こした発作全てが寝入りのときだった。
人それぞれの傾向があり、日中に突然発作を起こし、倒れてしまう方もいらっしゃる。
頭を強打してしまう可能性も考えられるし、発作自体が脳や身体に相当な負担がかかるため、抗てんかん薬で発作を予防しなければいけない。
小学校5年生でてんかん、と診断
サブロウはてんかんと診断してもらうのに時間がかかった。
・頻度が少ないこと
・夜寝るときのため、倒れて頭を打つなどの危険が起きにくいこと
・てんかんの傾向を診るため脳波を調べるときに、眠っている状態でのデータがほしいが、小さい子どもは脳波検査中になかなか眠れない、ということ
などがあり、良いデータがとれててんかん、と診断されたのは小学校5年生、当時10歳のときだった。
決まって寝入りのときだから、家の布団の上で発作が起こる。家族もいるし、周りに危険なものもないから安全ではある。
しかし何度そのときに出くわしても、子どもの発作時の様子を見るのは心底辛い。辛いけどこの病気と向き合って行かなければならない。抗てんかん薬をきちんと飲んで、危険を回避しながら強く生きてもらうしかない。
親として、こんな病気に産んでしまって申し訳ないと思うし、どうか、小児てんかんという、子どものころだけのてんかんとして治まってほしい、とか、常に頭の中に心配事として存在している。
やっとのこと小学4年生の脳波検査でてんかんの兆候が出て、抗てんかん薬を飲んで半年に一度の血液検査と脳波検査を行うようになった。
抗てんかん薬を飲み始めてからのサブロウ
てんかん薬の副作用・・・サブロウの場合
始めはてんかんじゃないといいな、って思っていたがきちんと診断してもらって、うまく付き合っていく、と覚悟を決めたほうが、とても楽になった。
薬を飲む前はもともと痩せ型だったが、薬を飲み始めてからはぷくぷくと太っていった。これは副作用なのかな?と思っている(ちがっていたらすみません、ただの食べ過ぎか?)。
薬は一日一回、夜寝る前までに飲む。
そして修学旅行があったときは、先生に預けた。
家族で旅行の時も、ぜったいに忘れずに、そして念のため私の財布にも3日分入れている。
災害時のための常備薬は3日分、念のため7日分は用意しておいたら安心、とのこと。
*それでも不安なので、10日分ほどストックのある状態をキープできるよう処方していただいています。
成長期 忘れたころに起こる発作
薬で抑えられている発作も、忘れたころにまた起こった。これは成長期、少しづつ身長が高くなって体重が増えて、薬の量が足りなくなったときだった。
それから同じ薬を長期に服用していると、薬に慣れてしまうのか、効きにくくなってしまう、ということがあるという。
薬が効いているかどうかは血液検査の項目のてんかん薬の効き目をみる項目があり、先生の判断に委ねることとなる。
先生も、薬の量が多すぎないところで、絶妙なラインを狙って、無駄に多くなりすぎないように容量を調整してくださる。
しかし、成長期の体重増加により足りなくなってきたところで発作が起こるようなイメージだった。
薬を飲み始めてからの発作は2年に1回程度となった。
今までにお世話になった病院 前の2つ
一つ目の病院
東京から引っ越してきてから脳波検査や血液検査などをして初めててんかん、という病名がハッキリした病院。
こちら、最初に担当になっていただいた30代前半位の若い女性の先生は、若いのにてんかんのことをよく勉強されているのが伝わってきた。信頼できる感じがした。
しかし、大きい病院のためか、一年を待たずに先生が変わるのである。
もちろん、今までの検査結果はデータとして残っているので先生もさかのぼって見てはくれるのだが、幼少のころからの日常の発作などの状況を説明することがとても大変だった。なにせ息子のためだ、伝え忘れがないように真剣だからヘトヘトになる。
ずっと診てくださる先生がいる病院に行きたくなった。
転院を希望
専門医、とよばれるてんかん専門の先生がいる病院を調べたら、となりの県の大学病院にいらっしゃった。車で1時間20分ほどだったので、良し、とした。
息子の通院は薬の服用により安定した状態が続いていれば3か月に1回となる。年4回。
病院選びは片道1時間半までならOKとした。
お世話になっていた近くの病院の先生には「長期的な病気と思われるので、てんかんの専門医のいらっしゃる先生のところへ行きたくなりました、紹介状を書いてください。」と、転院したい病院指定で紹介状を書いてもらった。
しかし更にもうひとつわがままを。「急な発作で緊急で診てもらうときはこちらが近所なのでお願いしたい。」とお伝えしたらそれもOKをいただいた。
ありがたい。
専門医のいらっしゃる大学病院へ
まず、大学病院の予約をした。
紹介状を持って初めての診察。紹介状と一緒にサブロウの今までのデータを見るとおっしゃった。
普段は3か月に1回の通院だが、転院ということで少し早め(前の病院からここの病院での初診の間隔は2か月たたない位)となった。
薬の量とサブロウの発作の間隔、体重などから、とりあえずは、今のままの薬を飲みましょう、ということで3か月後には、脳波検査と血液検査を行い、少し薬を変えたり量を少し増やしながら2年半ほどお世話になった。
この病院に行って特別良いことがあったというよりは、今までとはちがい、一人のてんかん専門の先生に2年半で計6回ほど受診していただけた。体重や成長により薬の種類や量を調整しながら、発作が起こらないように過ごしましょう、という基本的なことを、今まで通り続ければ良いのだ、と納得がいった。
まさかの日中 しかも授業中!のてんかん発作
初めての日中のてんかん発作
サブロウは夜寝るとき、ときどき朝の2度寝のとき、家での発作しか起こしたことがなかった。
しかし中学3年生の時、遅く寝ることが増えたサブロウ。
睡眠時間が足りなかったのだろう、授業中にウトウト・・・そして寝てしまったらしい。
そこで発作を起こしてしまったのだ。
うしろの席に座っていた親友がすぐに気づいてくれた。「先生!サブロウが!」先生はもちろん、親友にもてんかん持ちであることは伝えていたため、大事に至らなかった。
親友、すぐに気づいてくれてありがとう。イスから床に落ちて頭を打っていたかもしれない。本当に感謝。この親友とは高校も一緒になり、相変わらずじゃれあっている。
親友や先生がガクガクしだしたサブロウを椅子から落ちないようにしてく
れて、1分もせずに発作はおさまったとのこと。
発作後のサブロウ
1分ほどの発作は救急車を呼ぶなどの緊急の対応はしないで良いということ。(たまたま次の診察の時期が近かったため、すぐに先生には報告出来て、薬の量を少し増やしていただいた。)
中学校の先生には入学時の健康調査書に、こと細かにサブロウのてんかんの症状と、もしも学校で発作を起こしてしまったとき、の対応のしかたを記入していたし、定期的に面談でもたびたびその話をしていた。
もちろん学校なので保健の先生もいらっしゃる。
発作後は先生方に保健室に運んでもらい、ベットで十分に寝させてもらったそうだ。
(発作後は決まって3時間ほど爆睡する。痙攣って相当な体力を消耗するんだ・・。)
ベッドに運んだところで仕事中の私に電話があり、学校で発作か・・・と驚きとショックもあったが、しっかりしなきゃ!と思い対応してくださったことのお礼と「爆睡から起きたら、自分で帰らせてください。」と伝えた。
睡眠不足に注意
仕事から帰ったらサブロウは家でくつろいでいて元気そうだった。
いつも思うのだが、本人は自分の発作の状態を見ていないので、他人事?というぐらい、いたってケロっとしている。
私たち家族がどれだけサブロウのことを心配しているのか、彼には知ったこっちゃない様子。
覚えているのは授業中に眠くなってきて、頭がギューンとしてきたような・・・、ぐらいという。
生徒たちは次の日、ケロっと学校に来たことにびっくり。「サブロウ、死んでしまうのかと思った」と言っていたそうだ。
初めての日中の発作ということでその後、サブロウと約束をしたこと。
・早く寝る。7時間は寝る
・携帯電話を寝床に持っていかない(リビングに置いていく)
・7時間寝られないことがあった日の次の日はぜったいに早く寝る
・2日以上連続で睡眠時間が不足することのないようにする
・授業中寝ない
・眠くなるようなら睡眠時間が足りていないということだからまた睡眠時間を検討する。
中学生。私が中学生のころは大好きなウィンブルドンテニスをテレビで観るため、3時ぐらいまで起きていたっけ、そして次の日は授業中に寝ていたな。
自分でもできていなかった早寝をサブロウに約束させている。
しかもサブロウはたいがい守っている。
いろんなことがまだまだ伸びしろだらけだが、そこはえらい!称賛したい!
現在の病院に落ち着いた
再び、近くて専門性の高い先生のいる病院を考える
となりの県のてんかん専門医がいらっしゃる病院でお世話になった期間で少し薬の量を増やしたり、薬を変えたりで体重の増加も落ち着いてきたところで、もう一度、比較的通いやすい距離のところで脳神経内科で、先生がコロコロと変わらない病院を探してみた。
ネットの口コミや評判を見て一つずつあたっていこうと思い、建て替え移転し設備も整った、一番気になる病院(車で20分ほど)に紹介状を書いていただいた、これで3つ目の病院だ。
大当たり 納得の先生との出会い
さあどんな先生だろう。
先生は40代半ば位の女医さんで人当たりが柔らかいが、しっかりとした知識と経験を兼ね備えているのが、こちらの質問に丁寧に答えてくれるその言葉選びでわかる。
てんかんという病気ひとつとっても、発症したきっかけや時期、症状の出方の違いはさまざまだ。
いろんな患者さんを診てきた母数の大きさが伺えて、サブロウの症状に対応する薬選びの説明を聞くと「もう先生にお任せしていれば大丈夫でしょう!」と心から思えるのだ。
サブロウのこれから と次回のエピソード
ここなら自宅から自転車で45分ぐらいで通えるのではないか、という場所。
社会人になれば通院は自力でがんばれ、と伝えていた。
サブロウは早生まれのため現在17歳の高校生、ありがたいことに4月から就職が決まった。
サブロウの全体的な発育がゆっくりで勉強が苦手、がてんかんと関係していたこと、特別支援学校ではなく、公立高校に進学して良かったこと、そしてどのように就職が決まったか、を次回、お話します!
持病や勉強のつまづきに悩まれるお母さんお父さん、一緒にあの手この手を繰り出して頑張りましょう!